こんばんは、またまたAkeです!
今回はこの場をお借りして、短編集『ムーミン谷の仲間たち』より『ニョロニョロのひみつ』を読んだ感想文を投稿させていただければと思います✨
本当はXに投稿するつもりで書き始めた感想文なんですが、あれよあれよの間に文字数が増えてしまい、Xでの投稿だと文章がぶち切れになって読みにくくなっちゃったんです😅
なに言ってんだコイツ、みたいな部分も多々あるとは思いますが、あくまでも一個人の視点であることをご了承の上、最後までお読みいただければ幸いです❣️
ニョロニョロ大好き💕
彼らは『ふてぶてしくて、おくびょうで、はっきりと世間に背中を向けている』『ただ、ありったけ遠くまで行くことを望んでいる』ナゾのいきもの。
ムーミン谷ではおおっぴらにニョロニョロの話をするのは、あまり上品なことではないらしいけど、今日読んだ短編『ニョロニョロのひみつ』がとっても胸に突き刺さったから、この場をお借りしてコソッと語っちゃうんだぞ!笑
この短編集は1962年に発表された作品らしいんだけど、ニョロニョロって現代日本の集団構造にも十分に当てはまる存在だなぁと思った。全く同一の姿形をしたニョロニョロの集団は『お辞儀をする』『手を振る』『白樺の皮』といった独自に単一化されたコミュニケーションで成り立っていて自我は必要とされていない。
そのコミュニティの中で定められたことと異なる言動をとると不審がられたり嫌がられるから、ムーミンパパも『ぼくをへんな奴だとおもっているのかな』と相手に対して疑心暗鬼めいた気持ちになる。そして、その集団で過ごしていくためには(逃げ出すっていう選択もあるけど難しいこともあるよね。大海原に浮かぶ船の上で、たった三匹のニョロニョロと一生を過ごさないといけないかもって時はとくに)そう思われないようにコミュニティの規則に沿った言動しかとらなくなる。いわゆる『思考停止』の状態。集団でいること、同じでいようとすることで思考するチカラが衰えていく。だって考える必要なんてなくない? どうせみんな同じなんだから。変わらないんだから。だからムーミンパパも最終的にはニョロニョロと同じになっちゃう。
ニョロニョロたちに攻撃性はなくて、他人に害を与えたっていう具体的な事例はないのに、みんな『電気でなにかをしている。人の心の中を読み取ることが出来る』みたいなウワサ話を知っていて、クモやウミヘビたちもニョロニョロを恐れている。でもこの恐れってたぶん、電気が怖いというより、彼らと関わることで『自我が失われてニョロニョロと同化してしまうこと』を無意識に理解しているからなんだろうなって思う。だからフツーの人はニョロニョロには近づかない。でも、ムーミンパパは憧れすら抱いて彼らについて行っちゃった。悪い世界に興味を持った思春期の青年みたいな心境で。
ただ、ムーミンパパも最後には悟るんだよね。
ニョロニョロはただ、外部から与えられた強烈な刺激(雷)によってでしか『生き生き』できない。たぶん自分の中から湧きあがってくる衝動というものはないんだろうって。外からの情報や刺激をただただ詰め込まれているだけ。自分でコントロールは出来ない。そして外部からの刺激によって与えられた活力はしょせんニセモノで、すぐに枯渇してしまう。だからニョロニョロは常に外部刺激(雷)を『たださがして』さまよっている『かわいそうなニョロニョロ』なんだって。そう考えるとムーミンパパの最後のセリフ『うちでは決して電灯はいらないぞ。今までどおり、ずっと古いランプをつかうんだ』がとても印象的に感じられた
あ、ちなみにこれだけ語ったうえでアレなんだけど……。
自分はニョロニョロになりたいです!!(*´艸`*)←オイ
だって、感情をはじめとした自我なんて邪魔なだけ。自分のそれも他人のそれもめんどくさい。型にはまったまま流されるように終わりへと近づいていくほうがラクでしょう? ただ、ニョロニョロを利用する外部刺激によってコントロールされた結果、ニョロニョロみたいにはなりたくないって真っ当に生きている人たちを害する存在になるのはヤだなぁ。結局ダメなのはニョロニョロっていう存在じゃなくて、その存在を利用して悪事を働くヤツら。まぁニョロニョロ、お前らもちょっとはしゃきっとしろ!とは思うかもだけど。難しいね、人間として生きていくって😅笑
読書感想文は以上!
最後まで読んでくださった皆々様方、本当にありがとうございました❣️