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執筆者の写真Fata.シャーロック

罪悪感

【火星から来た塩昆布シリーズ③】

昨日を背負って明日へ歩く。哀を愛へと変えるため。私はさすらう塩昆布。

心の闇を直視することで手放そうという試み。

創作という海に投げ出された一人の人間が、「溺れるものか」と藁をつかんだり、それさえもすっぽ抜けてしまって絶望したり、「それも人生か」と星を眺めて達観したりしているような、そんな心の動きを言葉にしました。良かったらどうぞ。





 壊してしまった友情がある。

 恋人を亡くしたばかりの友人に無理を言ったのがその原因だ。

「元気になれ」

「いつまでもクヨクヨしちゃ駄目だ」

 無神経、無感情、無慈悲。自分がどんなに酷いことをしてしまったか、今ならよく分かる。

 その言葉一つで元気になれるのなら、そもそも悲しんでなどいない。もし自分が大切な人を亡くしたとしたら、どうだ? そんな言葉はただ煩わしいだけだ。

「心配だったの」

「貴方はまた自分で自分の身体を傷つけようとするでしょう?」

 そんな言い訳は通らなかった。

「貴方とはこれまでずっと仲良くして来たよね」

「貴方には今までずっと我慢してたこともある」

 そんな甘さや思い上がりが、許されるはずもなかった。

 過ちに気づいた時には遅すぎた。

 彼女は私を嫌いと言い放ち、ぷっつりと姿を消した。その時どんなにすがっても、言葉一つ返らなかった。

 彼女はその一瞬で、「他人」になったのである。「知らない人」よりももっと遠い、「近づいてはいけない人」に。

 私は何を焦っていたのだろう。

 確かに彼女は、危なげな言動をする人だった。普段は良すぎるくらいに良い性格をしているのだけど、よく問題に巻き込まれて鬱になり、「鏡を割った、カッターを持っている」……そんなことをメールに書く人だった。私も他の友人も、それには胸を痛めていた。

 彼女が問題に巻き込まれるのは、過去の様々なトラウマのせい。それが故に、普通の安全や安定や安心を信じられなくて、生まれなくても良いドラマを生んでしまうのだ。石橋を叩きすぎて割ってしまうのと同じである。

 ただ、だからこそ傍にいてあげなければと思っていた。どんなにしても壊れない堤防になってあげたいと思っていた。でないと彼女はバラバラになる。大好きな大好きな彼女が。

 けれど。その時の私は、本当にそんな崇高な思いでだけで生きていたのだろうか?

 

 今思うと、私は純粋に彼女の幸せを願っていたのではなく、「自分の肯定感を高めてくれる存在」として彼女を扱っていたような気がする。つまり、彼女への全ての行いや言葉に、冷静な計算を秘めていた。下心があった。そうでなければあんな無理は言えない。「早くいつもの調子に戻れ」とは。

 それから半年が過ぎた頃、私は彼女に手紙を書いた。

 

 “君に心ない言葉をぶつけてしまったこと、今でも後悔しています” 

 書けば書くほど思いが溢れて止まらなくなった。便箋ではとても足りないと分かっていたから、キャンパスノートを十ページ分引き裂いて、書いていた。

 

 “ごめんね。私は酷い人間だった。でも、もし許されるなら、また……”

 思いは実り、数日後に彼女から連絡があった。彼女は全てを許してくれ、よりを戻したいとまで言ってくれた。もちろん嬉しくて舞い上がったが、私は結局、いつか何かの本で見かけた言葉の通りの現実を生きることになる。すなわち―― 一度冷えてしまった粥は、温め直しても美味くない。

 私もまた弱い人間だった。それも強者に回ろうとした分だけ、質が悪いと言える。

 だからということなのか、まるで波が引くように関係は終わり、わだかまりも消え去ったが、心に巣喰ったものがある。嫌な目や辛い目に遭う度に、それが胸を締め付ける。

 「そうか、彼女もこんな思いだったのか。悪いことをしてしまった」

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