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知恵の輪あれこれ2






 「May I ask you again?《もう一度お聞きしても?》」五秒くらいおいて、ロビンさんがそう言った。


 ロビンさんは笑顔だけど、細い目は全く笑っていなかった。みるみる内に顔色も変わって行く。まるで紙のように白く。ホームズさんは何でもないように煙草に火なんか点けているけど、全くの無表情だし、まとうオーラがヒリヒリしている。


 わあどうしよう……雲行きが怪しくなって来た。嫌な予感しかない……。


「お前には繊細さが欠けている」とホームズさんは答えた。

「その乱暴さでよく今まで生きて来られたな。たった一つのミスが死を招くことを忘れたのか?」

「あれれ、まさか君」ロビンさんは吹き出した。

「僕のこの遊びでの姿勢と仕事での姿勢を混同しちゃっているのかい? なんて酷い言いがかりだ」

「言いがかりだと? バックの持ち方、眼鏡の掛け方、何気ない仕草の一つ一つを俺は見ている。時にはそれで変装を見抜くこともある。人間の本質はそうした仕草や行動の端々に出ると言っても過言ではない。だからお前は脳筋だと言ったんだ」

「そうかい。でもさっきのIQの話は聞いてたかな? 忘れてるとしたら君はただのバカだし、そうでないなら難癖をつけるただのアホだ」


 僕の不安は的中し、二人はどんどん盛り上がって行く。どうしてそんなに一々嫌な言い方をするんだろう……。


「落ち着きましょうよ」と声をかけても無駄だった。二人は完全に僕のことを無視している。

 でもさ、たかが「知恵の輪」なんですけど!! 何でこんなおもちゃ如きに本気になってんだよ!


「僕が脳筋だと言うなら、君もそうだということを証明してあげよう」とロビンさんは言った。

「やれるもんならやってみろ」ホームズさんは喧嘩を買った。

「そんな、もういいですよ。ロビンさんもホームズさんも充分凄いですよ!」


 僕は言ったが無視される。ロビンさんはパチンと指を鳴らし、「それじゃ皆で想像してみよう」と声を上げた。何なんだろう、このディズニーみたいな展開。

 僕はもうとっととこの場を去りたかったけど、知恵の輪は未だにロビンさんの手の中にあるんだよな……。「返してください」と言っても聞こえないふりをされるし、なんか「皆」とか、僕もその場にいる設定で話し始めてるし、もういいやと続きを聞くことにした。はあ。


「爽やかなある日の朝のことだ。シャーロックがここ221Bのサンクチュアリで目覚めると、階下が何だか騒がしかった」

「ほう。ハリーが何者かに誘拐されて下宿から姿を消していたんだな」

「よく分かったね」


 何そのひどい話。


「ユウミさんの手前、君はぐずぐずしていられない。朝食もそこそこにマフィン君を探しに行った」

「朝食は摂らない派だが」

「それは知っているけども、ユウミさんはこの日の朝、美味しいチョコマフィンを焼いてくれてたんだよ」

「なら行動を起こすのはそれを食ってからだな」


 ふざけんな。


「それから色々あって」

「端折り過ぎだが見つかったんだろう」

「まあね。マフィン君は漁港のすぐそばに建っている造船所の一室に監禁されてたんだ」

「重さ二十キロのプラスチック爆弾を体に巻きつけられている状態でか」

「それに近い」


 ねえ、僕、ちっとも楽しくないんだけど。


「厳密に言うと」ロビンさんは注釈を付ける。

「マフィン君は鎖で部屋の柱にぐるぐる巻きつけられていた。でも爆弾は、その前にただ置いてあったんだ」

「置いてあっただけか」

「そう。これは君を狙った爆弾だから。マフィン君をさらったのは君を嵌めるためだよ」

「ほう。それで残り時間は」

「きっかり三十秒。マフィン君を縛った鎖はそう簡単に切れないしほどけない。さあ、君はどうする」


 ホームズさんはほとんど考えることもなく答えた。


「直ちにその場から離れスコットランドヤードに連絡し、冷静に爆弾処理班の到着を待つ」


 見捨てる気ですかあああ!!


 予想はしていたけど、これほどあっさり僕を見切るとは思わなかった。何が『冷静に』だよこの! 自分だけ助かれば良いのかよ! 僕はホームズさんのせいで巻き込まれてるのに!

 僕が喚くとホームズさんは瞬きを一つして、「人間はいつか死ぬ」と言った。それ答えになってないからね?!





「うーんとね、今のは例えが悪かったかな」ロビンさんは咳払いをした。

「設定の一部を変えてもう一回やろうか」

「嫌ですよ!」


 僕は断固拒否したが、ロビンさんは「ああ、もうマフィン君は出て来ないから大丈夫だよ」と笑って続ける。


「爽やかなある日の朝、下宿からいなくなっていたのは、ユウミさんだったんだ!」


 僕は呆れて言葉を失くした。ホームズさんも火の消えた煙草を咥えたままで固まっている。ど、どうしてこんなに酷い話を笑顔で出来るんだロビンさんは! 縁起が悪いにも程があるよ!


「……それ以外に設定の変更はないのか」

「ないよ。マフィン君がユウミさんに変わっただけさ。それで、君は爆弾をどうする? 外に出て処理班の到着を待つのかい?」


 ロビンさんはチェシャ猫のようにニヤニヤと顔中を口にしながらホームズさんの瞳を覗き込んだ。ホームズさんは数秒間微動だにせず、じーっと暖炉の炎を見つめていた。それから小さな声で、「……やる」


「はい?」ロビンさんは耳に手を当てて首を傾げた。

「僕の耳が遠くなったのかな、それとも君が声帯をなくしたのかな、何か言う時は大きな声で言ってくれないと困るよ。きっと言い難いことを言っているんだろうなって勘違いしちゃうからね」

「黙れ」ホームズさんは青筋を立て、今度ははっきりと言った。

「お前の顔面に投げてやると言ったんだ馬鹿野郎!!」


 次の瞬間起こったことは、いつもDAYSを読んでくださっている皆さんなら分かるんじゃないかな。

 ホームズさんは怒りを爆発させた。そして固めた拳を思い切りロビンさんの顔に突き出した。それはもう絶対当たるし鼻も歯も折れるだろうなっていうスピードだった。でもロビンさんは頭と両手が背後の床に付くほど反り返ってかわし、ほとんど勢いも付けずにその場でバク転を決める。おまけにその時宙に浮かんだ両足でホームズさんを蹴り飛ばそうとしていた。しかしホームズさんはそれもちゃんと見切っている。サッと身を引き腰をかがめ、体制を立て直したロビンさんが投げて来た知恵の輪のピースを避けた。キャッチした。そして投げ……っておい!!


 本来の用途以外には使用しないでくださーーーい!!


 瞬く間に四つのピースは風を切り裂いて飛ぶ凶器と化してしまった。僕は被害をこうむらぬよう床に這いつくばり、ビュンビュンそれが飛び交う戦場を脱出するべく芋虫になった。ただひたすらに、分厚い絨毯の上をモゾモゾモゾモゾ匍匐前進。ふざけんなよこのーー! 何でいつもこういう流れになるんだ! もう既に足が痛い! 


 しかもさ、大体飛んで来るんだよね。ピースが鼻先とか頭上にさ。僕がドアノブに手をかけようとした時なんか集中攻撃だよ。これ狙ってるよね。わざとだよね。


 仕方がないので僕は脱出を諦め、騒ぎが収まるまでテーブルの下に避難することにした。またモゾモゾ床を這って後戻り。そして分厚い樫の木の天板の下に頭を突っ込むと……やっぱりというかなんというか……ヤツがいたのだ。ニタニタと不気味に笑うフランス人形のマリーちゃんが!!


 しかも瞬時に牙を剥き出して襲いかかって来た。僕は悲鳴を上げて飛び退いたが、その時天板へ頭をぶつけたので目の前でパッとお星様が散るのを見た。いたあああ……! 頭を抑えながら絨毯に転がると、顔のすぐ上を金色のピースが流星の如く飛んで行った。ああああああああああ、もうめちゃくちゃだ……。


 騒ぎが収まったのは、それから三十分も後のことだった。多分、きっと、絶対、ユウミさんが「ケーキが焼けましたよー♪」と部屋に入って来てくれなかったら、永遠に続いていた。うん。


 そして今僕は、何事もなかったかのように和気藹々とユウミさんを挟んで話をしているホームズさんとロビンさんを見ている。少し離れたところで。ひっそりと。見ているというか睨んでいる。頭と腰が痛くて動けなくて、でもこんな格好悪い所を最愛の人に見られたくないと僕がソファの陰に隠れたことを良いことに、二人は僕などいなかったことにして、ユウミさんとお茶会を始めてしまったのだ。腹が立つ……!


 ふと、「この知恵の輪は僕らに似ているな」と思った。

 僕らはどうしたって性格が噛み合わない。尊敬の念や寛大さよりも嫌悪感の方が互いに優っているから、すぐにでも離れ離れになりたくて仕方がないのだ。でもユウミさんという軸のおかげであら不思議、例え追い出されようとも下宿を出ることは出来なくなっている。


 馬鹿みたいだけど、そうだなあ……。ユウミさんさえいてくれるのなら、僕はこれからもロビンさんやホームズさんに振り回されることを受け入れられるだろう。今までもそうして来たし。下宿を出ることに比べたら、嫌でもロビンさんたちと一緒にいる方がマシだ。ユウミさんさえいてくれるのなら。

 ——いや僕は何を考えてるんだ。ユウミさんがいるからってこのいじめまで受け入れちゃダメだろ。まずここから出て、それから二人を出し抜く方法を考えるんだ。繋がるにしても対等な関係でなきゃ。

 

 その時、「あっ、一秒で外せましたーー!」とユウミさんは両手をあげてバンザイをした。


「す、凄いじゃないですか、ユウミさん!」ホームズさんが叫ぶ。

「一体どうやってやったんです?!」ロビンさんが立ち上がる。

「分かりません!」


 ユウミさんは嬉しさに声を裏返しながら首を振った。その瞳は星のように輝き、頬は林檎のように赤く染まっている。


「よく分からないんですけど、横にした輪をそっとテーブルの上に立てて、ピースをつまんだら、急に外れました!」

「何だって?! なんてスタイリッシュ!!」

「あーーーーその手があったのかーーーーっ!!」


 ユウミさんもロビンさんたちも大騒ぎをしている。楽しそうで何よりだけど僕はちょっとガックリ来た。

 あのね、ユウミさん。僕は今まさに「疲れるけど皆と一緒の方がいいや」って思い直したところなんですよ。関係を知恵の輪に見立ててね。このタイミングで外さないで……。



【おしまい】

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