聖夜の殺人
更新日:1月15日
風が氷のように冷え切った、クリスマスの夜のことです。
ロンドンの下町にある汚いビルの最上階で、七人の男たちが、腹や胸をズタズタに切り裂かれて死んでいました。
知らせを受けて駆け付けたレストレード警部は、知り合いの探偵と共に捜査に乗り出します。
しかし、事件には意外な裏があって……
聖夜の殺人
風が氷のように冷え切った、クリスマスの夜のことです。
ロンドンの下町にある汚いビルの最上階で、七人の男たちが腹や胸をズタズタに切り裂かれて死んでいました。
部屋の中は足の踏み場もないほど血で汚れています。
知らせを受けて駆け付けたレストレード警部は、事件の謎に頭を悩ませました。
殺されていたのは「善人」ということで名高かった医者や神父や弁護士たちです。
彼らは何故、こんな裏路地のビルに集まっていたのでしょう。
一体どうして殺されたのでしょう?
現場には、犯人のものと思われる血の付いた足跡が残されていましたが、それだけでは解決の糸口を掴めなかったので、警部は知り合いの探偵を呼ぶことにしました。
電話を掛けると、探偵はすぐに現れました。
「俺がいないとレストレンジは何も出来ないのか?」
「俺の名前はレストレードな」
いつものことなので慣れていますが、探偵は酷い物言いをする上に、警部の名前を覚えていないようでした。何ででしょうね、探偵は警部よりも頭も顔も良い男なのに。
ちょっと悲しい思いのまま、警部は探偵に状況を説明しました。
「なるほど、それは面白い」
「手を貸してくれるか」
「Of course」探偵はニヤリと笑いました。
夜の街へ繰り出し、調査を始めた探偵。
彼は一時間と経たない内に、「おい、死んだ七人は、とんでもない曲者だったぞ」と警部に連絡をして来ました。
七人は、立派な職業と善人ぶりを隠れ蓑にして、とあるマフィアから仕入れた麻薬や非合法ドラックを、若者たちに売り捌いていたらしいのです。
「マジかよおい。がっかりだな……。じゃあこの殺しは、クスリ関係のトラブルが原因で起こったんだと考えて良さそうだな。お前はどう思う?」
「さあな。少しは自分で考えろ」探偵はにべもありません。
「はいはい、とにかくその線で捜査してみますわ」
警部は電話を切り、てきぱきと部下たちに指示を出しました。
捜査を進めて行くうち、警部は、男たちの自宅から押収したPCのメールの中に、気になる一文を見つけました。
“仰天するようなプレゼントをやる。20時にいつもの場所で会おう J ”
「ほう、筋書き通りになってきたな」
電話をかけ、そのことを伝えると、探偵は笑ってそう言いました。
「そうだ、こいつだ! このJとかいう奴が犯人だ!」
警部は自信満々に請け合いました。
被害者たちの中に、「J」の頭文字を持つ男はいなかったからです。
間もなく、そのメールの送信者のアドレスから、被害者たちが家族らにひた隠しにしていた、共通の友人の「ジャック」という男を見つかりました。
これでもう間違いありません。ジャックは、前科をいくつも重ねている危ない男です。
警部は直ちに探偵とおちあい、ジャックの自宅へ急行しました。
「ジャック! お前を殺人容疑で逮捕する!」
「な、何だと?!」
ジャックは慌てふためき、「それは何かの間違いだ! 俺じゃない! 違う!」と訴えましたが、部下が部屋から血塗れの服を見つけ出したこともあり、警部は構わず手錠をかけようとしました。
しかし、ジャックは即座に、警部の部下の一人を羽交い締めにし、隠し持っていたナイフを突きつけました。
「い、今すぐ全員出て行け! でないとこいつの首をかき切るぞ!」
定番の人質交渉の始まりです。
警部が「わ、わかった、落ち着け」と言いながら部屋を去った後も、「金を用意しろ!」「逃亡用の飛行機を用意しろ!」とジャックは要求を続けました。
冗談じゃありません。七人も殺した犯人を国外へ逃亡させるなんてもってのほかです!
警部は上司と協議を重ね、ついに特殊部隊に事態を委ねました。
数時間後、特殊部隊は催涙ガスを撒いて踏み込み、ジャックは撃たれて死亡しました。
事件は思いがけない結末を迎えましたが、それでも解決したことには変わりないので、警部は幾分かほっとしました。ビルで七人が死んだ時の状況や、この事件の発端となったトラブルが何だったのか、それを知ることはもう出来ませんが。
警部は探偵や部下に感謝を伝え、特別なクリスマスの時がもう終わってしまうことを少し悲しく思いながら、警察署へ戻りました。
しかし。
現場に一人残った探偵の口元に浮かんだ凄いような微笑みを、見咎める者は誰もいませんでした。
そう、事件の真実は、ただ探偵の心のうち……。
ビルの七人がどうして死んだのかは、この事件の真犯人である、探偵にしか分かりません。
今夜死んだ八人の悪党たちは……大量のドラックを用いて、夜の仕事をする女性たちを次々に陥れ無惨に殺害しては、その様子を撮影し、マフィアを通して動画を方々へ販売していたという過去を持っていました。
そう、彼らは「切り裂きジャック」と世間が呼んだ、世にもおぞましい事件の犯人だったのです。
探偵は、友人の女性を殺されたこともあり、復讐を決意しました。
まず、暗黒街に入り浸るなどしてありったけの情報をかき集め、「切り裂きジャック」の正体を突き止めました。それからの数週間はジャックと他の七人の生活サイクルを掴むために費やしました。そして彼らの集合場所であるビルを知ると、グループのリーダーであるジャックに変装して七人に近づき、新たな仕事の話を持ちかけたのです。
“いつもの場所で会おう”というメールを送って。
七人は、探偵の目論見通りにビルの部屋に集まっていました。
「ジャック! 仰天するようなプレゼントってなんだ?!」
ジャックのなりをして現れた探偵は、浅ましい彼らを笑いました。笑いながら変装を解きます。すると全員がみるみる内に青ざめました。
「だ、誰だお前は?! ジャックじゃないな?!」
「いや、今夜の俺はジャックだ」と、探偵は答えました。
「今夜だけは、俺が切り裂きジャック で、サンタクロースだ。約束通り、仰天するようなプレゼントをやろう」
探偵はさっとナイフを突き出しました。
一人も生きては逃しません。銀の刃を閃かせ、切って切って切りまくり、彼らが死んで床に倒れても、腹や胸へそれを振り下ろし続けました。
それは探偵自らの意思だけではなく、彼らに殺された人々の思いがそうさせているようでもありました。
彼らを始末した後、探偵はもたもたしていませんでした。
すぐに血まみれになった服や靴……ジャックの家から盗み出したもの……を脱いで、ジャックの家にこっそり戻し、自分の家に帰りました。
そうしてレストレード警部の連絡を待っていたのです。
それからは皆さんもご存じの通りです。
単純な仕掛けでしたが、警部は頭も勘も鈍い人間なので(人は良いのですが)騙すのは楽でした。ジャックを七人殺しの犯人に仕立てるのも、法的に抹殺するのも、あっけないほど簡単なことでした。
更に探偵は、彼らを殺す前に、彼らの元にあったおぞましい殺人動画のデータも、この世から完全に削除していました。すでに買われていたデータも、何もかもをです。
同時に「彼らが切り裂きジャックだった」という証拠も消えたことになりますが、探偵は「別に良い」と思っていました。殺された人々の尊厳をこれ以上傷つけたくはなかったからです。
全ては思っていた以上に上手く行きました。
きっと神様も「聖なるこの夜に、悪をのさばらせたままにするのは良くない」と考えて、探偵に力を貸してくれたのでしょう。
探偵はすっかり満足して現場に背を向けました。そして、ジングル・ベルをハミングしながら、朝日が差し始めた銀色の街をゆっくり歩いて行きました。
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