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執筆者の写真Fata.シャーロック

弾痕とホットチョコレート

更新日:11月7日



探偵がくれるものはいつだって、血と謀略の味がする——

現代英国。陽気な諜報員ロビンは、隣室に住む殺し屋シャーロックの突然の暴挙や嫌がらせのようにしか思えないMI6からの任務命令に腹を立てていた。仕返しに奔走する中、英国では「御社のチョコレートに毒を入れた」と企業を強請る脅迫犯たちが現れて……。

Tricky&Stylish? 世にも奇妙で物騒な、無敵の二人のSweet-Seasons.






 ◆鉛の弾がこんにちは


  


 Giving chocolate to others is

 an intimate form of communication,

 a sharing of deep, dark secrets.


 “チョコレートを他者に贈ることは

 親密なコミュニケーションの一形態であり

 深くて暗い秘密を共有することでもある”





 僕の住むベーカー街221Bの下宿「Sanctuary」の一号室の壁には、二号室の住人シャーロックに開けられた穴がある。まあ穏やかな話じゃない。全部弾痕だし。


 ちょうど四ヶ月前――十一月の午後のことだったと覚えている。それもカーペンターズが歌うような憂鬱が上にも憂鬱な雨の月曜日に、『暇な貴方におあつらえ向きの仕事があります』――堅物の上司からそんな連絡が来たもんだから、僕は不機嫌MAXで部屋に籠もり悶々と地獄絵図を描いていた。

 そしたら突然雷が落ちるような音が続けざまに響いて、滑らかな壁から「こんにちは」「こんにちは」――そういう具合で鉛の弾が飛び出して来た。


 すぐに腹ばいになって安全確保、ついでに英国諜報機関MI6《グレート・ブリテン・サーカス》特製の防弾キャンバスで幾つか跳ね返してやったけども、もしこの災難が007ばりの諜報員である僕、「とっても素敵な青い瞳のロビンさま」ではなく――女の子たちはよくそう言ってくれるんだ――神の迷える一般人ヒツジたちに襲いかかっていたならどうなっていただろう。


 シャーロックはアイリッシュ・マフィア所属の殺し屋だから侮れないぜ。

 例えば、彼が二号室ではなく三号室の壁の方に銃を向けていたとしたら……そこの住人のマフィン君はまだ若いし一般人なのに可哀想だけど、そこへ引っ越したが運の尽き、という訳だ。コンマ一秒で蜂の巣になっていたはず。ただのひ弱な浪人中の医者志望だし。


 シャーロックは何故そんな危険なことをしたのかって? 知らない。

 弾痕は手当たり次第の水玉模様って訳じゃなく、こちらから見ると鏡文字の「Y・V」になるよう丁寧に形作られているから、僕が以前から心を寄せているこの下宿の大家さん――天使のように優しく美しいユウミ・ベランジェールさんに関係があるんじゃないかって思うけど、彼女の頭文字を壁に刻みたくなるほどの心境って何だろうね。知りたくもない。


 当然僕は斧で扉を叩き割って二号室に殴り込んだ。


「やあ、お邪魔するよ。シャーロック」

「ああ、歓迎しよう。ロビン」


 もうもうと立ち籠める、この街名物の霧より深い煙草の煙。その生みの親であるシャーロック・ホームズは、肘掛け椅子にゆったり腰掛け、サイレンサー付きのデザートイーグルを弄び、完成したばかりの作品「Y・V」に見惚れていた。さすがギャングの用心棒。真っ黒髪がボサボサでも身なりがだらしなくても、煙草を吹かしているだけで妙にサマになる。太々しいというか何というか。

 僕はコホン、と咳払いを一つして話を続けた。


「最近神様は世の中を良くしようという気力に欠けているって思うのは僕の気のせいかな? それはともかく、一つ相談したいことがあるんだ。毒虫、害獣、それとも悪蛇の親戚かな、どれでも良いけど、どうも僕の隣の部屋にはアダムとイブが楽園の外でゲロッたやつから生まれて来たような男がどぐろを巻いているらしいんだよね。今日なんか共同の壁をめちゃくちゃにされちゃってさ、ビッグベンの先っぽにそいつを突き刺したいくらいに腹が立ってるんだよ」

「それは災難だな。心から同情する」


 シャーロックは僕の方を見もせず、でもやたら情感の籠もった声で言った。銃口をバッチリこちらに向けたまま。


「お前の問題が上手く解決すると良いな、ロビン」

「ありがとう、シャーロック。何だか元気が出たから、そろそろ反撃して来るね」


 僕は側の机の上に鎮座していた飾り物の頭蓋骨《Mr.ボーン》に斧を振り下ろした。

 それからはもう大騒ぎ。シャーロックは即座に発砲し、傍らの机のカッターに手を伸ばした。見る間にそれが飛んで来た。

 僕は斧の刃を盾代わりに弾を跳ね返し、首を傾げてカッターを避けながら、哀れな頭蓋骨の欠片を投げまくった。最終的には斧も投げた。それがぐるぐる暴力的に回転してシャーロックの髪を掠って行くのを見届けた時、急に「わああああ」という悲鳴が聞こえた。


「ちょ、ちょっと、ロビンさん! ホームズさん! 落ち着いて! 警察呼びますよ! 何やってるんですか……!」


 僕の後ろで、物音を聞きつけてやって来たらしい、ただのひ弱な医者志望のマフィン君が仰け反っていた。

 全く、ひ弱なんだから黙って引っ込んでいればいいのに、臆病ではないというのが彼の長所であり短所。


 僕は前述の通り英国諜報機関MI6のエージェントでシャーロックはアイリッシュ・マフィアの犬なんだけども、この下宿で暮らしている間はあくまでマフィン君と同じ一般人だっていうふりをしてなきゃいけない。だから僕は一応画家、奴は探偵という表の顔を持っている。

 こういう時はその表の顔を守るのに苦労するんだ。


「今の? 大乱闘だよ」僕は肩をすくめて答えた。

「はい?」

「だから大乱闘だ」シャーロックも仕事に私情は持ち込まない主義。

「えっと……」


 目を泳がせて言葉を探すようなマフィン君に、僕はもう一押しとウィンクを投げた。


「今のことは誰にも内緒だよ、マフィン君。大家ユウミさんにも警察にもね。分かったかい?」


 シャーロックの背後の壁にぶっすり刺さった斧を抜きながら。





 最初の弾痕壁穴合戦はそれで終わった。あんまり派手に殺り合うと、警察に通報されかねないということも学んだ。

 だから一週間くらいは、『何事もなかった』と自分で自分を騙すように過ごしてみた。僕には珍しく、MI6の仕事を早く片付けられないかなって考えてみたりね。


 でも騙せなかった。そりゃそうだ。


 が僕に言いつけた仕事ときたらかなりいい加減で、腕に牛の刺青タトゥーをしている男たちの写真を数枚がーっと送って来たかと思うと『ロンドンに軍隊上がりの過激派集団が不法に潜伏している。探し出して面倒を起こさぬ内に始末せよ』……これだもんな。馬鹿にしてる。

 だって、もし彼らが国家を揺らがすような大犯罪を企んでいる集団なら、指令はこんなあいまいなものじゃない。『○時○分に○○街の○○へ行け』となるはずだ。


 僕が思うに、彼らの危険度はまだまだ低い。良く見積もってB級、始末命令を出したのは『女王陛下のお膝元でうろうろされるのが気に入らない』とか何とかそういう理由だろう。

 僕みたいなSS級の諜報員エージェントを引っ張り出す意味が何処にあるんだ? そんなに暇そうに見えたか? ふざけんなよ、僕は平穏な日々を謳歌するのに忙しいんだよ!


 MI6の件を抜きにしたって、我が壁に穴を開けやがったシャーロックと僕は長年のライバルだっていう問題が横たわる。殺し合いの種なら今までもこれからも、掃いて捨てるほどある。海の砂ほどある。それゆえ穴はそこにある。


  ……て言うか、何で僕は奴と同じ下宿で暮らさなきゃいけないんだ?

 ここを住居にと決めたのは僕や奴の上司の方だから文句は言えないけれども、あっちゃいけないだろこんな展開バッティング。

 僕の心はもうストレスでいっぱい、圧力鍋の中でスタンバイ中の火薬や鉄釘やベアリング・ボールみたいになっている。さあ、いつ爆発するかなってなもんさ。


 何より嫌なのが、シャーロックの部屋の空気がこの穴を通して流れて来るってことだった。僕の本や衣服、それにベッドのマットレスやシーツでさえも、あいつ好みの煙草の匂いが染みついて取れなくなった。

 窓が開いていてもシャーロックの匂いは紛れない。これどういう地獄?


 嵐で下宿が停電した夜なんか、たまたま廊下で僕の後ろを歩いていたマフィン君が袖を引いて「ホームズさん、電気はいつ復旧するんでしょうね」と言った。


「え、なに、ホームズ? 僕はロビンだよ?」


 まさかあんな奴に間違えられるなんて。

 心から絶望したよ。危うくマフィン君の首を絞めそうになった。



 


 二週間目、僕はシャーロックに「いい加減穴を塞げ」と談判した。


「何故」とシャーロックは言った。

「何故だって?」僕は自分の耳を疑った。

「君はとうとう頭がイカレたらしいな。何故なら、あれは壁だからだよ。僕と君との間には今日も冷たい風が吹いてくれちゃ困るんだ。同じ家で暮らしてること自体僕には拷問なんだからさ、せめて仕切りくらいはちゃんとさせてくれよ。それとも何だい、君は壁でミツバチでも飼おうってのかい? 冗談じゃない、蜂の巣にするのは自分の体だけにしてくれ」


 すると、シャーロックはこうだ。


「ほう。お前はユウミさんのイニシャルにケチを付けるのか? お前のユウミさんへの愛はその程度だったんだな」

「はあ ユ、ユウミさんは関係ないだろう!」

「大ありだ。お前にはもうユウミさんに近付く資格はない。ま、お前側の壁だけは元通りになるように上手く塞いでやろう。俺にとっては愛しいユウミさんの分身でも、お前にはただの拷問なんだろう?」

「待て待て待て待て塞がなくていい」


 僕は思ってもみなかった部分、だが確実に致命傷になる部分を言葉のナイフで突かれてしまった。

 神に誓って言うけれども、僕は絶対にシャーロックよりユウミさんのことを愛している。

 あの輝くような金髪、ナイチンゲールの如く甘い声、いっそ透き通るような肌に、しなやかな腰の曲線……それが全て僕だけのモノになるのなら、どんなにか素敵だろう!


 それに僕は、シャーロックなんかよりユウミさんのことを幸せに出来ると思っている。

 お金なら世界一周旅行を百万回してもまだ残るくらいたんとあるし、僕は家事にも育児にもちゃんと興味があるジェントルマンだからね。


 それなのに、こんな理不尽な状況でユウミさんへの愛の深さを試されるとは――そしてシャーロックを有利に立たせてしまうとは――何という不覚。何という試練。

 僕がボクサーならカウンターを喰らって脳震盪、ぐるぐるする視界に体ごと呑まれてリングに沈んだ所だ。


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